茶番

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080326-00000148-mai-soci
(記者)会見というものは、いちいち取材に答えるのが面倒なので、一回で終えるために行われるもので、義務的なものではない。昨今流行りの「謝罪会見」なるものは、対マスコミ、対お茶の間であって、本来謝るべき対象には決して行われていない事が多い。今回も、自分が進学できないからと言って、その親を殺す訳でもなく、無差別な殺人を犯したバカ野郎の製造者は、本人同様顔を隠し、MA−1風のブルゾン、ジーンズで謝罪会見に臨んだ。その台詞には、謝罪には相応しくない、自分の教育方針に間違いはなかったなどの言葉が列挙されていた。子の親にしてこの子ありと言ったところですかね?別にホワイトタイ着用で臨めとは言わないが、被害者に対する謝罪の意がその外見にも現れず、終始自分の責任逃れの自ら流してもいたお涙ちょうだい的な話は、いくらマスコミの取材攻勢が鬱陶しくても、軽々しく発するべきではなかった気がする。謝罪の気持ちがかけらでもあるなら、被害者の関係者に直接行うべきである。ハイエナマスコミや殺害現場を遠く離れた無関係な傍観者には何もメッセージを発する必要性もない。それにしても、最近はどうして自分の無力さを他人に責任転嫁して自殺ではなく他殺に転換するのでしょうか?貧困が原因とするなら、なぜその貧困社会を構築した国などを糾弾するでもなく、模倣犯に成りすまして八つ当たりをするだけなんでしょうか?恐らく今回も、未成年者で心身喪失とか尤もらしい理由をつけて、不起訴。再び猟奇殺人者は野に放たれることでしょうね。

THE END

THE END

「燃え尽きた」のはだいぶ前なんじゃないんでしょうか?どれだけの人がメジャーリーグで通用すると思っていたのでしょうか?野球がやりたかったはずなのに、野球ができて幸せだったはずなのに、マイナー降格で引退ですか?http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080327-00000001-jij-spo
状態のいい人を見極めて、チームを組織しなければ、いくらスポーツといえども国と国の代表の戦いは、所謂真剣勝負なので、当然負けてしまいます。問題は、監督が代わってから怪我人が続出しているということです。例えばオシムが監督であってくれたなら、怪我人の絶対数は同じでも申告する選手は激減しているはずです。何所が痛いとか言っていたらこのチームから外されてしまうと言う危機感がなくなってしまった。例え幸運にもW杯予選を通過できてもそれは2,3年限りの現状維持でしかなく、オシム就任の際に夢見た50年、100年計画の通過点ではなく、今後数十年暗黒時代が到来する序章が始まってしまっただけである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080327-00000001-spnavi-socc