終わるって話

小学校の卒業式、泣いたかな?泣かなかったはず、でも、うちに帰って悲しくはなった気もする。中学校は・・・覚えていない。高校・大学は卒業式に出席していない。学校行事で泣いたりしたのは・・・。覚えているのは、高校の1年のときの応援団講習会終了の時と2年のときの文化祭時だったかな・・・。

高校生の記憶はあまり楽しくなかったのか殆ど思い出せない。勉強もしないし、部活もしない。音楽聴いて、マンガ読んで、麻雀やって、後何してた?ラジオ聴いて、テレビ見てへらへらしてただけかな。学校と家は5分も無い距離で、たまに自転車で駅前の小さいレコード屋を数件回っているだけが楽しみだったかな。全く持って時間も無駄遣いをしていたもんだね。その付けが今回ってきているような気もしないでもない。そのころとやっていること感じていることは殆ど変わりないのは不幸なんだろうか?それとも・・・。
ラジオの番組をやっていると、大騒ぎして始まるときに比べ終わるときは意外にあっさりしている。生活の一部にはなっているけど、それほど大きなイヴェントとしては感じていなかったからだろうか、不思議に泣いたことは無いんじゃないだろうか?仕事だから?それまで、仕事じゃなくて聴取者としてラジオを聴いたり視聴者としてテレビを見ていたときは、番組が終わるとものすごく悲しい気分になるのを引きずって元に戻るまでが大変だった気がするけど、仕事として接したものに関しては・・・。収入が減ることぐらい?心のどこかで裏方というか作る側になってみると、また何かは始まるし始めなければ成らないから、終わるものに関しては、それほど執着しない粘着しないのかもしれない。誰かが死ぬわけじゃないんだから・・・。だから、聴いているお客さんからのメッセージは終わるのは残念です。ありがとう。見たいなのは有るけど、続けるにはどうしたら?と言うのは殆ど無い。番組が終われば、次を聴くか、他を聴くか、聴かないかで事足りるのだからね。それは、別に薄情ではなく、生活の供ではあるけど中心ではないのだから仕方がないし当然の話なんだよね。