生きている詩人に対峙(までは相手にされないけど)するさいの心持ち

万が一、『貴方が影響を受けた人は?』と聞かれたら、誰もが知っている有名人を挙げることは出来ません。基本的に友達や辻占的な発言や志向を示してくれる名も知らない人や看板とかに影響を受けていると想うのですが変なのかもしれない。殆どは間接吸収を幼少から実践してるんですよ。今の風潮の本物嗜好とは相容れないのでどんなもんなんですかね?鏡越しに覗いたり、ガラス越しに考えたり、そんな事を繰り返し生き長らえてしまったので…事実には興味を失ったのかも知れません。
生きている人は、変わってしまうので、発言などに矛盾を孕み信用を失ってしまう。まあ容貌もじいさんばあさんに変容して見た目も体内も悪くなっていきます。無理して長生きしても良いこと無いのに延命延命の日常を繰り返す。
何か脱線しすぎて収拾がつかなくなっているので結論を急ぎましょう。その昔、時代のヒーローと呼ばれた思想家や詩人は、どうして生き長らえてしまうのだろう。あたかも作品の責任は文字の羅列でしかないと思っているんでしょうか?
○水○○って今どうみてもヒーローとは感じないし吉○○○も只の親バカ作家としか見えない…。
同一性を維持するのはかくも難しいことなのでしょうか?