寝て暮らす

分からないことは、そのままにした方がいんだろうか?でも誰が答えてくれるでもなく、金を払ってクイズに答えれば大学とかに入れるけど、そこで解決するとは決して思わないから、また行こうとは思わないし、かといって誰かに師事したいと思う老師もい無さそうだし。まあ探していないから見つかるけないけどね。既存の本を見れば何かわかる?でもないし、読書体験が浅いからかもしれないけど、合わない文体だと半分も読まないうちに挫折しちゃうもが年をとればとるほど顕著になってきてるし…。八方塞がりな感じもしないでもない。
少し広がったのは「時間は幻想かもしれない」という考え方に助けられた所もある。でも、時間と時刻、時計。経過。でもやっぱり、行き着く所は「同一性と非同一性」、そして「同じものと違うモノ」に集約されてしまう。
何十年も洗脳され続けたためか、ほとんど大部分の違うものが同じものと認識されてしまう。でも、どこかの位置では違うものと判断する。不確実な感覚のもとで何かをはっきりさせられる事は可能なんだろうか?疑問ばかりがずうっと反響して解決はどこにも見当たらない…。
今ある真理は容易く修正される。物理学だろうが考古学だろうが新たな発見がされればそれに合わせて全てがやり直しになることもある。ただそれは既存の知識と言うか知の形態のの中に現象を閉じ込めようとする事の歪みが回答を出現させないこともあるし、知能の限界もあるのだと思うけど、イデアとかそういったあるかどうか分からないものをいつまでも追い続けたところで向こう側にはないがあるんだろうか?